身辺雑記

 どうもブログの過去記事を見ると、まだ立ち直れていなかった時期から更新が途絶えていたのでなるたけ簡潔に。昨年大学院をドロップアウトしてまた今年再上京してきてから、しばらくはやはり苦しかった。何も心の整理はついていなかったし、無謀にも断薬なんかを試みて1週間寝込んだりもした。それからいくらかして、ここ5年の間に起きた種々の個人的な事件に対し、とりあえずの折り合いをつけることができた。意外にも平静を取り戻し、かつてないほどにアタマがクリアになった。些細なことでは動じなくなり、気分の乱高下も収まり、徐々に減薬をしながら院生生活を送っている。

 

 そうして戻ってこれたからか、四半世紀近く生きて初めて恋人ができた。4月の頭のことなので、1ヶ月経った。彼女とはなんだかんだで長い付き合いだ。確か2年前のGWだっただろうか。GW中に絶対に自殺をすると宣言しているTwitterアカウントを見つけた。その時の僕は必至にDMを送り、少しやり取りをし、僕のDMに効果があったかはわからないが、思いとどまってくれた。それからは、頻々にやり取りをする、ある種の戦友のような間柄だったように思える。僕は勝手に横恋慕していた気もしないでもないが、取り合ってもらえなかった。いろいろなことがあった。連絡を長く取っていなかった時期もある。しかし、彼女とのつながりはどうやったって切れなかった。

 

 今年の3月頃、僕が電子失踪をやめ、スマホの電源を入れてLINEを確認していたら、彼女から今生の別れのような長文メッセージが届いていて、慌てて通話をかけた。僕の昨年の憔悴具合や、過去の自殺未遂、見舞われた様々な事件などを知っていれば、当然の心配だったと思う。その時の通話で、自分も大変だろうに、彼女は僕の話に優しく耳を傾けてくれた。ずっと孤独だった。一条の光が差したように思った。僕はまだ再上京の決心がつかず、名古屋の実家にいたし、彼女には交際相手がいた。それに、これまで恋愛や性愛を追求してきて、その結果としていつも虚しさを感じ、荒みきっていた。だから、恋愛感情は沸かなかった。

 

 再上京し、前に書いた通り、僕はようやっと新生した。友人の一人として、彼女と交際していくうち、少しずつ距離が狭まった。ある日彼女は突如として、交際相手と別れた。本当に驚いた。僕の知っていた過去の彼女は、流されやすいところがあり、自分から大きな決断することはないだろうと思っていたからだ。お互いに放蕩の限りを尽くした時期を知っていただけに、その覚醒(?)は瞠目に値した。僕はゲームのような恋愛には、ほとほと懲りていた。なので、「気持ちの整理がついたら、僕と真剣に付き合ってほしい」とアプローチした。元より、馬が合った。それに最早あきらめかけていた、生涯を共に歩みたいと思える唯一の人だった。僕はどうにも他人にはよく避けられた。さもありなんと思うところもないではなかったが、とても寂しかった。彼女はその中で一人だけ僕を尊重してくれた。良いところを見つけ、悪いところを許容してくれた。彼女といると心が安らいだ。心根がとても優しく愛らしかった。

 

 「返事は4月の下旬まで待ってほしい」と言われた。また、「自分から伝えさせてほしい」とも言われた。僕は彼女の意思を尊重しようと思った。多分彼女の中では、僕に惹かれるものはあるものの、お試し期間が欲しく、デートを何回か重ねた上で決心したかったんだと思う。初デートは水族館だった。二人で見たイルミネーションに包まれたイルカショーは、拷問されたって忘れないと思う。水族館から出た夜桜の下のベンチで、「今聞かせてほしい」と告げた。僕らは恋人になった。

 

 この一ヶ月を振り返ると、決して順風満帆とは言い切れなかったと思う。ものすごい勢いで互いの相手を想う気持ちは強くなっていったが、更生したとはいえ、トラブルメーカーのメンヘラカップルである。誤解やすれ違いもたくさんあった(だいたい僕が悪い)。僕はあまりに非モテ人生を歩みすぎたため、初めて嫉妬の感情をぶつけられ非常に当惑したりもした。実は昨日それで喧嘩もしたり(すぐに仲直りできて良かった)。手探りで二人の距離感と生活を作っていった。僕は相変わらず自信が持てずによく怒られる。彼女の類まれなる言語センスに較べ、僕は10年も文学なんて志しているにも関わらず、ありきたりで月並みな言葉でしか気持ちを伝えられない。いつも申し訳なく思う。それでもとても上手くいっている。凸凹な二人が補い合ってどうにかこうにか。なんだかんだで相性が良いんだと思う。彼女が代替不可能性を自分から言ってきた時には、ああもうこの人しかいない、大切にしようと固く決心した。ずっと僕が追い求めてきて、ついぞ手に入らなかった関係性だったからだ。窓際に飾ってある遊園地デートの時の写真を見ると、なんでもできる気持ちになれる。最近僕のことを、下の名前で呼んでくれるようになった。とてもじゃないが考えられなかった、大好きな人と愛し合えるという幸せに、まだまだ戸惑いは隠せないけれど、僕は彼女を一生愛し抜こうと思う。

夜は魘される

 午前4時、アタマの中を大音量で鳴り響く「ボヘミアンラプソディー」を誰か止めてくれないか? ひどく魘され目が覚めてしまった。断薬をしていた。いや、というより、メンクリに行くのが億劫で、やむを得ずこうなってしまっている。5日目ぐらいか? 向精神薬を飲まない暮らしは離脱症状との戦いで、それより生存に必須な必要最低限の家事ができず、また馬鹿にされるだろうが、ちょうどお袋の誕生日もあったので名古屋から召喚し、面倒をかけている。そのため今も、老いたる母は、僕の自室の隣の四畳半で寝ているわけで、こんな時ばかりは、無謀にもルームシェアリングを試みワンルームを借りなかった過去の自分に感謝する。

 

 お袋の誕生日で思い出したが、今年僕はもう25になる。25年間といえば四半世紀で、当たり前なのだけれど、その当たり前のことが僕を苛む。「いや~30までは学生続けるかもwww」と笑っていられたついこの間が、とても遠くに感じる。病気療養中と世間様にはごまかせばいいのだろうか? 25で無職。現実味を帯びてきた。ストレッサーとなっている要因に久々に向き合った。どうも本当に自分を破滅せしかねないような精神的負担は自己防衛機制から無意識に忘却されるようだ。よく聞く言説が信じられるようになってきた。

 

 トラウマとの向き合い方。こんなことを、10年間できなかった、しかも今もなお苦悩の只中にある男が書こうとするのも滑稽の極みだが。「ベルセルク」という漫画を読んでいた。以後若干のネタバレを含むのでアニメ視聴組はそっ閉じしてほしい。あらすじを概説するのも、上手くできる自信が最早失われてしまったので、割愛する。「ベルセルク」は鷹の団の面々を巡る一つの<神話>の創出に、その妙味があると思うが、一方で、忌まわしき事件との向き合い方をそれぞれのキャラクターを通し描出している点に着目したい。復讐の怒りに燃え毎夜魑魅魍魎と文字通り格闘し続ける主人公のガッツはさておき、同じ災禍の中で心を閉ざし「考えることも感じることも無く只遠い闇(くらがり)からぼんやりと眺めていた」キャスカについて軽く述べる。今さら書くまでもないことだが、荒唐無稽な物語及び登場人物について種々論じることについて前段として。一考だに値しない稚拙なフィクションも一部あることは認めずにはいられないだろうが、人の産み出す物語の多くは、その想像力には良くも悪くも限りがあり(話型分析を想起する)、だがそれゆえに凝り固まったわたしたちの現状認識を改め直す源泉となり得る。「ベルセルク」を例にすれば、眠れる夜は来ないといったガッツの悪霊たちとの戦いが即ちガッツの心象風景を表していると看取することは容易だろう。ようは、このような読解から見える描写法は、「言い換え」方の一つなのである。イメージを更新していくことによる解きほぐしこそ、物語を「読むこと」の効能といの一番に挙げられることだろうが、消費物的娯楽としてフィクションの取られることの多い現在の傾向への言及をしておきたかったのでこの機会に。錆びついたアタマでつい話が横道に大幅に逸れてしまった。トラウマとの向き合い方、そして、キャスカはどこへいった。やはりコンサータに頼らなければ俺はダメなのか......。

 

 再びキャスカの話へ。最新(40)巻で、妖精(エルフ)の王の力と、ファルネーゼ、シールケの協力により、キャスカはようやく正気を取り戻す。その様子は前(39)巻より描かれる。描写としては、キャスカの深層心理へとファルネーゼとシールケが降りていき、キャスカの心象風景世界でキャスカの根幹を成す記憶の追体験が行われる。作品自体の解釈への誘いにも感じられる。キャスカが呆けても抱えきれなかったものが、生々しく、おどろおどろしく描かれるが、キャスカのセクシュアリティと体験も相まってか、男性器を模した怪物が多い。そして最後には醜い赤子に至りつく。ジェンダーセクシュアリティで喧々囂々の議論ができそうだが、これは個人的な随筆であるし、僕のうろんな今の状態では書ききることもできなさそうなので、止むなくここでは触れないでおく。物語はその後キャスカとガッツの再会、そしてその再会を引き金にキャスカは再びトラウマを想起し慟哭、その後どうなったかは40巻では描かれない......。

 

 こんな感想文を書きたくなったのは、さっきふと自分の年齢について考えていると、今このように落魄し浮き上がれずにいるいくらかのトラウマと常に向き合っていたつもりでまったく無意識に忘却していたことに気が付き、自分の生きた、あるいは自分しか知りえない生きた忘れうべき人々を否定している心持ちがし、とても嫌気の差した一方で、キャスカの忘却という選択肢もあることを思い出したからである。本当につらい体験からは逃げてもいいのかもしれない。そうしなければ、心身に著しく支障を来すことは、自分自身で十分実証済みだ。今これまでになく、歯痒い、ピリっとしない文章しか書けず、そのことにより受けるショックの大きさからもそれは傍証される。文章を書くことで全能感を感じられたのは、いつまでのことだろう。そろそろ夜のくらがりが晴れ、空が明るくなってきた。僕のアタマの中もそうであればいいのにと、心から思う。

電子失踪していた間のこと

 

 つい先日まで実家に帰りスマホの電源を落とし、4ヶ月ほど引きこもりに戻っていた。親父が亡くなったからというのは半ば言い訳に過ぎない。東京での生活が破綻を来していたからだ。具体的には、精神と神経の失調、頽廃的生活、人間関係疲れといったそこらへんにいくらでも転がっていそうな平板な理由だ。アタマがどうにかなりそうな時は、狂気がかったツイートしかできなくなるということには、嗜虐的な自虐がいくらでも思いついて呆れかえった。

 

 11月下旬のことだったと思うが、5年間寝たきりの植物状態だった親父が、同じく瀕死の生を送る僕へと救いの手を差し伸べるかのように、危篤になり、急死した。とうの昔から覚悟はできていたので、あまりショックは大きくなかった。同居していた友人が自殺したこともあったので、「今年は喪の年だね」と軽口をたたく余裕もあった。大学院の課題から逃げ出し、観想的生活に耽ることとなった。引きこもりも中学時代経験があり、10年ぶりのホンモノの隠棲も苦ではなかった。精神疾患に理解があり献身的に支えてくれる母親。居心地のいい我が家。慣れ親しんだ孤独。時間に縛られない日々。外界からは隔絶されそれはもう快かった。

 

 しかし、大学院に不義理をしてしまったこと、自殺未遂の経験のある僕を知る数々の友人との連絡途絶、将来に対する唯ぼんやりとした不安、悩みはいくらでもあった。あのまま引きこもりを続けていれば、何年やれたろうか? 決して裕福な家庭ではなかったので就労問題から、仲の良い母ともいずれは険悪な関係性になっていただろう。何より、若さがそれを許さなかった。アニオタ、文学青年を経て、研究者を志していた僕は、夥しい量のフィクションに触れ、それらに一々影響を大きく受けた。感受性、共感性が強く、抑鬱に押しつぶされそうになり死をすぐに想起する僕をつなぎとめていたのは、親父譲りのなぜか生きたがる出鱈目で膨大な量のエネルギーと、事象を束ね物語をまだ紡げていない、つまり主人公を僭称しながらもなり切れていない自分へのふがいなさに対抗する負けん気の強さからで、それらは皮肉なことに日々僕のストレスを募らせ、僕は益々おかしくなっていった。

 

 中学時代は引きこもりから抜け出すという目標があった。高校時代はFランから普通の大学に入るという目標があった。親父が倒れ情熱的恋愛に逃避してからはただ酔っていた。悲恋に終わりすべてをあきらめかけてからは大学院に学歴ロンダリングするという新たな目標があった。Twitterを始め東京というトポスに憧れた。だがまるで予定調和かのように引きこもりに戻ってしまった。奇々怪々な経験を経て幾分賢くも強くも狡くもなったと自分では思っていった。それがまったく老人が在りし日の思い出を語るように、何にもコミットメントすることなく朽ち果てていく想念に憑りつかれていたし、実際のところそうだったのだろう。

 

 ひもすがら恐怖にうち震えていた。自分の脳力の衰えを感じた。気怠さと苛立ちと焦り、そして欲望のみがそこにはあった。詳しくは書けないが、12月地元でトラブルを起こした。そうして初めて気づいた。僕は普段様々な物語を自らのうちに取り込み、悲嘆にくれ、奇天烈なふるまいをすることや、かぶくことにより、慰撫し、耐えられなくなると酒と薬に逃げ、暴力的言動で周囲を困らせるただの一凡夫に過ぎないのだと......

 

 東京に帰りたかった。失敗体験や苦いトラウマはたくさんあった。大学院に戻れるかどうかもわからなかった。資産も随分と減り就職も考えていたが、そもそも今の心身が耐え得るかはとてもではないが断言できなかった。だがしかし、それでも名古屋の実家で母とともに朽ち果てていくよりは、マシだと思った。東京のアパートには苦労して集めた、多種多様な蔵書があった。いつだって活路を開こうと燻ってる友人たちもいた。帰ろうと思った。それが何かもやり方さえわからないけど何かをしに行こうと思った。毎夜悪夢にうなされ疲れ果てて夕暮れに起きる逃げ腰の自分を鼓舞し続けた。

 

 そんなこんなで、ようやく東京に戻ってくることができた。相変わらず傍若無人でしかもグレードダウンした僕を心配し支えてくれる人は予想外に多かった。何ができるかはわからない。この辺鄙なアパートでまた引きこもりをこの4日間繰り返し続けている。それでもわざわざ顔を見に訪ねてきてくれる人たちがいる。マイナスからのリスタートの終着駅がどうなるか、今日も抑鬱と闘いながら、あれこれポンコツなりに考え続けている。去年の11月の予定の書いてあるホワイトボードには「生きろ!」と書きつけた。今日もほとんど何もできなかったが、とりあえず後悔だけはないよう全力で就寝しようと思う。

眠れない夜の随想

  「厭世さんのブログ記事は全部読みました」


  こんなことを言われたのは初めてで、ついついまたいつもの悪い癖が出た。「豚もおだてりゃ木に登る」僕は幾度木登りすれば気が済むのだろう。大した文量でないにしても、このブログの記事をすべて読もうだなんてよほどどうかしている。僕はいつだってあとから気づき、後悔する羽目になる。僕の読みづらい癖のある文体と、その曖昧でいい加減な筆致には、呆れかえるといった反応が正常だ。僕だからこそ、僕の連続性を確かめるために、たまには自分の書いた文章の読者になるが、時折その文章技巧の稚拙さと陳腐で一部グロテスクな内容に厭気が差すことが多い。


  陥穽だった。筒井康隆に着目していながら、これだけ「作者」と「読者」について考察していながら、どうしてこんな基礎中の基礎を見落としていたのか。やはりどうもまだアタマの調子がおかしいようである。「作者」は書く。「読者」は「作者」の書いた「テクスト」を読み、様々に解釈する。簡単に言えば、こうした作業をプロとして行うのが「文芸批評家」の本分であり、それを支える考証を、同じくプロとして行うのが「文学研究者」の主たる仕事だろう。書くまでもないことだが、「国語」の授業で作者の意図や、固定された解釈を、現代人はどれだけ選ばされ続けてきただろう。考えてみれば、カンタンにすぎる。「読者」の「テクスト」へのアプローチは多種多様(文学理論の入門書の目次を見てみるといい)に考えられ、それぞれ異なる。面倒なので詳述はしないが、「<読み>の正解を一つだと考えないこと」こそ、「文学」の蠱惑的な魅力であり、弁慶の泣き所であるとひとまず言えよう。「作者の意図」なんてものはまず分かり得ない(それこそ私たちが思考のすべてを完璧に伝達する手段がない上に、そんなものができれば私たちヒトは滅ぶ。)と言っていい。もういくらでも繰り返されてきた言説なので、自分のヘタクソな説明をここですることには吐き気が止まらないのだが、「厭世詩家と女性」によって書かれた文章から、<今ここ>で苦悩と不安に苛まれつつも呑気にあぐらをかいている(この叙述だって真実であるかどうか)この「僕」の実相を、そのままに見ることは誰にもできない。


  僕はエゴイストだ。僕以外に僕は何も信じてはいない。未だにホントウの意味での他者を見出し得ない。確かそんな旨の自殺旅行をするだとかいった雑な遺書をポツネンと残し、一泊二日で帰ってきた小心者の「厭ナントカ」(?)そんな奴もいたりいなかったり。そうしてその孤立した自己を、表象でなく(あり得ないことだが)、<わかってもらえる都合の良い存在>を求めさすらう阿呆が僕だったはずである。このブログの初めの方の記事には、絵空事であるが、僕の夢見たことが書いてある。それらが完全に達意できたと無意識に思い込み、ホイホイ甘い餌に釣られて、今回もまたトンチキなドタバタ劇を繰り広げた。


  「どうせ今回の件もブログにいつか書くのだろう」「10月下旬あたりじゃないか?」「いやネタがなくなったら書くに違いない」などと僕を馬鹿にしてくる良き友人たちがいるので、敢えて胸の内にしまっておいて、代わりにこんな雑駁な随想を見切り発車で書き出した。今は他にやりたいこともあるし。つまるところは、どうやったって、「個」が「個」である限り、ミスコミニュケーション・ディスコミュニケーションは、生じざるを得ない。「個の確立」にこだわる僕の第二のアポリアがこれだ。しかしながら、この問題はそう悲観することもない。「個」の特殊性は、「個」が「全体」へ完全に包摂されない限りは、あらゆる可能性の源泉となってくれるだろう。


  ものぐさスイッチが入ったので、そろそろこの駄文を締めにかかると、僕は自己において肝要な発見や反省をたびたび忘れる。どうもこのポンコツっぷりだけは直りそうにない。今日訪ねてきた元同居人の発言から引用するのが癪に障るが、やむを得まい。「孤立せよ・・・・・・!」(福本信行『無頼伝 涯』の箴言。最近読み返したにも関わらず、すっかりこの境地を、沈殿させていた。裏をかいてやれば「self help」、「help!」だなんて叫んでいる暇があったら、中村正直訳『西国立志編』でも読めば(だがとても読むのに骨が折れるので何か良い代替テクストはないものか......なにぶん自分の勉強のためでなければ読まなかった類いの本でもあるし......)、生きる気力も湧いてくるというものだ。なんでもいい。思考を柔軟に。ノウミソなんかスポンジであれ。すべてを牽強付会、我田引水、恣意的に結びつけちまえ! と、浅田彰『逃走論』チック(?)なロジックに収斂していってしまったわけだが、結局これを噛み砕き、三行にできず、相も変わらずまどろっこしいことばかり考えていたことが、今回の僕の敗北である。「否! まだ負けてはいない! 変化しないこと即ち「無」こそが真の敗北であり、これは絶対に必要なプログラムの一部なのだ!」 と、またテキトーにじい(示威/自慰)したところで、なにか良い美辞麗句が出てくればいいものだが、あいにく本日、未熟者であるからして、うーん、そうだなあ、「いのち短し恋せよヒト」(2018年風?アレンジ?)という具合にしておこうか。ところで、不意に招かれざる客は厭世ハウスにたくさん闖入してくるが、可及的火急的速やかに欲しい眠気は一向に訪わない。薬ももうない。いやはや。

上京してのち

  上京してからの様々は最早思い出したくないことばかりだし、今の僕はすっかり弱り切ってしまっている。その間の日常を記録した2代目厭世詩家と女性(@pkd_straysheep2)も永久凍結されてしまった。なので、もう朧となった端々、記憶を、内奥から呼び起こす端緒にするために、備忘録として簡潔に記す。


3月

  希望と不安に満ち満ちていた。長年の付き合いのフォロワーのオタクとルームシェアしていた。まあ一ヶ月を俟たずに奴が出て行ったんだが。そういえば奴は僕に13万借金があるのだが、何も言ってこない。金に頓着したくないので、今後も督促はしないことにする。彼の良心に委ねよう。

  ところで、こんなことを書くと、彼にまた怒られるし、面倒な堂々巡りの反駁がくるので適当に煙に巻こうと思うが、一応書く。表向きは彼が僕の生活能力の酷さに呆れて、出て行ったということになっている。しかし、僕の認識は異なっている。彼とは昔からよく口論もとい議論になる。人間、神、世界、存在、言葉、性、抽象的であれば何でもいい。彼は良く「お前は他人の話を聞かない。すぐ遮り、自分の話ばかりする」などと指弾してくるが、これは見当はずれで、単に彼のプライドの拠り所とする「頭の良さ」(僕としてはクソどうでもいい)に含まれる「頭の回転の速さ」と通常判断される、発話の数が僕の方が約4倍程度多いだけのことである。それをウダウダ悩み、ストレスを溜め、皮肉、当てこすり、罵詈雑言で攻撃してくるんだからたまったもんじゃない。僕も僕でぐうたら暮らし、彼の小言をいい加減にうっちゃってしまうから、互いにますます腹が立つ。というわけで、破綻は遅かれ早かれ別のパターンで訪れただろう。きっかけとなったのは、僕が酒と女と薬でバグり暴れた「厭世ハウス乱闘事件」なのだけれども。

  大学院も始まっていないというのに、この一ヶ月は特に消耗した。彼もまた。彼は今は別のフォロワーのシェアハウスに移り、順調(?)に生活しているようだ。毎日のようにTwitterで絡んでくるが適当にあしらっている。


4月

  特に書くこともない。疾風怒濤の3月を終え、幾分か大人になったつもりでいた。実は3月の女バグりは、関係各位に迷惑がかかるから詳述しないが、矢印がとんでもない数飛び交い、僕も(一方的に飛ばす方だが)竜巻でもみくちゃにされた。大学院は始まったが、僕としては珍しく順調なスタートが切れ、院内にも特に問題なく馴染むことができた。大学院というのは一種特殊なところで、奇人変人の見世物小屋なので、悪目立ちということが、良くも悪くもできない。個性は反転し没個性となる。しかしながら、新生活というのはいつもエナジーを消耗するもので、この頃処方薬のルネスタ睡眠導入剤)が海外輸入できることを知り、こいつに溺れてしまった。寝ると心が軽くなるので1ヶ月で購入分の3mg(処方される一日の最大量)の錠剤100錠がいつのまにか消えていた。クスリの一番厄介なところは、濫用すると耐性がつくことだ。これより決まった時間に寝られなくなり、今も自分に合った睡眠導入剤を見つけられず、不規則な生活を強いられとても後悔している。

  これは蛇足だがこの頃ホテヘルで淋病を移された。ある日、排尿時に白い膿(淋病だと黄色の場合もあるらしい)がドロッと出るようになり、尿道に痛みが走った。焦って泌尿器科に駆け込んだ。幸いにも症状は軽く1週間で根治した。ん? これ5月だっけ? まあいいや。


5月

  元同居人のオタクが出て行ってから、厭世ハウスには、部屋が一つ余っていた。もう散々怒られたし、僕の中でも少しは整理がついたので、やや事情を書くが、フォロワーの女の子が一人居候することになった。4月の終わり頃から3週間、誰にも知らせずに同棲していた。彼女は双極性2型(いわゆる躁鬱病の重い方)だった。希死念慮があり、ODは日常茶飯事だった。しかも酒を覚え危険な状態にあった。幾人か親しい人には告げたが、公(?)には初めて告白する。僕は間男だった。彼女との生活は3週間続いた。彼女は別の場所で、新生活を始めるために厭世ハウスを出た。笑顔で別れた。それが彼女を見た最期になった。7月の項に書く。


6月

  この辺りから記憶が混濁している。大学院は4、5月こそ張り切って勉強していたが、次第にポスト構造主義的な言語不安に陥り、苦しくなった。頭が一瞬間も休まらず、眠らない回遊魚のようだった。5月末に初めての演習発表を乗り切り、本来ならここから自信をつけられたはずだ。だが相も変わらず寂しかった。とにかく6月に僕の鬱病は悪化し始め、生活すらおぼつかずに、ただ恋愛だけを夢見ながら、学問という名の悪夢と奮戦していたと思う。色々なトラブルを巻き起こした気がするが、よく思い出せない。


7月

  終わりの月だった。すべてを投げ出した。終生この夏の虚脱感は忘れられないだろう。5月に生活を共にしたあの子が死んだ。正確には5月の下旬、厭世ハウスを出て一人暮らしを始めて3週間経った頃にあったことらしい。自殺だった。詳しいことはあまり知らない。僕は彼女の過去も本当も知らなかった。ただ僕と暮らした3週間だけを知っている。だから悲劇の主人公ぶる資格もないし、第一彼女はそんなことは望まないだろう。死について考えた。苟もこの時期の指導教授の演習発表の題材のタイトルが「死者たちの語り」だった。気がどうにかなりそうだった。僕の中で一応の弔いはした。なのでぐだぐだ彼女の思い出に浸っても仕方がない。墓は知らない。僕は無神論者で宗教は持っていないし、究極的には自分しか信じていない。だから誰にどう思われようがこれで良い。ぽっかり空いた大穴は今も埋められずにいるし、これからもそうだろう。


8月

  終わってもないのに振り返るのもおかしなことだが、凍結されたおかげで16日以前の記録がない。簡単にいこう。7月末の演習発表を投げた。原因は自殺したあの子を忘れるため、他の女の子にちょっかいをかけ、双方傷つけ合ったのが、ちょうどその時期と合致したからだ。上京からのことが積もり積もって、いや、むしろ24年間の僕の生きてきた人生のやり切れなさが積もり積もって、久々に希死念慮が僕に帰ってきた。笑ってしまうぐらい雑な遺書を書き、衝動的に家を出た。24になる8/11まで旅に出ようと思った。不幸にも(幸いにも?)、酷暑に、弱り切った心と身体は耐えきれずに、ビジネスホテルに駆け込み、一晩泊まって帰ってきてしまった。ついに東京からさえ出られなかった。別れ際に自殺した子がプレゼントしてくれた腕時計をはめていた。何度も何度も話しかけてみた。僕は自殺しようとしたことは初めてではなかったが、やりおおせたことはない。彼女がどんな気持ちで、どうやって死んでいったか。想像することしかできない。人と人とは決して分かり合えないし、言葉は僕らのやるせなさを分かち合うにはあまりに心許ない。僕の6月頃陥った厭世感は、こうして、真に僕の血肉となった。頭でわかるのとしみじみ感じ入ることは違う。だなんて、脳科学者にバカにされそうだが、文学者はこうであってもいい。


  そろそろ書き疲れたので締めよう。鬱病は悪化し、睡眠障害も酷いが、どうにかこうにか生きている。まだ牙は折れてはいない。もともといい加減に書こうとの思いつきで、スマホに打ち込み始めたものの、興が乗り長く書き過ぎた。推敲もろくすっぽしなかった。書かなかった大切な出来事もたくさんある。多分この文章を読み返せば僕の頭の中に蘇ってくるだろうから、まあいいとしよう。


  上京してのち、最大の収穫は「Let It Be」が刺さるようになったことだ。と書くとまたミーハーだの単純だのボロクソに貶されそうだが、言いたい奴には言わせておけばいい、それも含めて、今ここに在る。さて、これから先か。どうなることやら。気が重いや。

フォロワーが自殺したらしい

 フォロワーが自殺したらしい。僕とはゆかりの深い人だった。複雑な事情があるので、以後仮名Aとする。一つには死者を冒涜したくないからである。僕はAのすべてを知る由もない。Aはどちらかといえば寡黙だったし、語りたくない過去もたくさんあったからだろうからだ。

 今僕は少し酒を飲んだ。懇意にしていた人物が死んだにも関わらず、僕の心にほとんど波風は立っていない。Aは恨むだろうか。せめてもの献杯をした。おまけに精神安定剤のODに併せて睡眠薬を飲んでこの文章を書いている。Aはきっと自分の消失を知られたくないだろう、だけれども僕は記録したい。完全なるエゴのなせる業だ。

 今日僕はAの亡くなったことを知った。形式的かもしれないが、Aには安らかに眠ってほしい。お疲れ様と言いたい。Aは特定されることを望まないであろうから、具象的なことは書かず、抽象的に僕なりの鎮魂をしたい。

 私事だが、2018年3月はトラブル続きだった。死んでしまおうと何度も思った。4月になってAとの交流が始まった。僕が生き延びられたのはAのおかげであったといっても過言ではない。Aは気遣いのできるとても良い人だった。今日は池袋で飲んだ。池袋ウエストゲートパークを横切る凡夫の群れに僕は殺意を向けた。Aが自死を選び、くだらない畜群どもはなぜ死なないのだろうと思った。Aは誕生日が近いので誕生日会をやってほしいと言った。でもその前に死んでしまった。Aは死亡時期が定かではないので(恐らく5月下旬だと思うが)、断定はできないが21歳で逝去した。

 死とはなんだろうか? 人は生まれたからには必ずいずれ訪れるものだ。絶対的であり、誰しも逃れることができない。先に謝っておく。昨日の午前3時過ぎ、フォロワーの女の子が号泣して、「生きることが難しい」と通話をかけてきた。僕は一時間半彼女の話を聞き、慰めた。彼女には死なないでほしい。生きづらいのだろうが。それでも。しかしAは死んでしまった。しかも自らを殺した(と推定される)。

 僕がAの死を知ったのは今日のことだ。もう二ヶ月近く前にAは死んでいたことになる。Aは憤るかもしれないが、僕はあまり動揺しなかった。Aの死の直前(と思われる時期)に連絡がとれなくなっていたからだ。Aは僕と交流のあった頃からAは強い希死念慮を持ち、度々自殺企図をしていた。覚悟が僕の中でできていたからかもしれない。Aの遺品を二つ持っている。僕は生涯保管するつもりだ。Aはそれを望まないかもしれないが、僕は捨て去ることができない。赦してほしい。「死人に口なし」という言葉がある。だからAは赦せないだろう。

 Aの身元がわからない限りで書くと宣言した。だから具体のエピソードは極力控える。だが、印象に残っていることを一つ書く。向精神剤ジャンキーのフォロワーがいた。Aに紹介したらたちまち仲良くなった。これから書くエピソードは現実とも空想と捉えてほしい。僕の家で三人でロヒスニをした。ロヒスニとはロヒプノールという向精神薬を小型のストローで鼻から吸引することだ。5倍キマるとの都市伝説がある。汚い話だが青い鼻くそがしばらく出る。とても気持ちがよくなるのだ。そんなことを思い出す。

 AにはOD癖があった。躁鬱病だった。死にたがりだった。懸命に生きようとしていた。しかし地理的に僕らの元から去って結果的には自決した。止められなかった。あまり多くを語りたくない。というのも僕の中で受け止めきれていないからだ。今は悲しいとさえ思えない。僕には冷たい血が流れているのかもしれない。父母が亡くなっても泣けなかったら僕も死のうと思う。

 

PS. Aのこと1/4は僕が殺した。引き止められたはずだ。それに僕は君をたくさん傷つけた。君は優しいから「そんなことないです!」ってきっと言うんだろうな。別に悲劇の主人公になりたいからそんなことを言っているわけではない。Aと親交を結んだ時点でAは過去にほとんど押しつぶされそうな状態だった。僕がAを殺しただなんて言うのは傲慢に過ぎるだろう。本当のところはわからない。ただAのことを忘れたくはない。そして月並みになる。最後に。ご冥福を祈りたい。つらかったんだね、わかってあげられなくてほんとうにごめん。もっとはなしたかった。

                                厭世詩家と女性

 

現代社会私見覚書

 逸脱がしたい。「逸脱」と言うと否定的なニュアンスを含意しているように思うが、昔の僕の意識下では「特別でありたい」だった気もする。もう少し前の社会評論なんて見てみると、それは「記号消費による差異化」の問題に近いかもしれない。誰しも自分の生の無意味さを認めたくない。だからこそ特殊でありたい。なにか少しでもいい。他の平凡人を出し抜いてやりたい。そう考えるのはごく自然なことのように思う。「内面化された他者」だなんて言葉も前述の社会評論では聞いたかもしれないが、現在SNS社会においては他者の視線は現前している。それさえも自意識過剰だと言ってしまえばそれで終わりだが、そうなるとこれはもはや現代社会日本の病理である。少し古いが三木清の『人生論ノート』を読んだ。三木清に言わせれば「虚栄」になるかもしれない。「アイデンティティ」50年代だったか60年代だったかにエリクソンの提唱した概念が今復活してきているように思える。「アイデンティティ」は本来「これでいいのだ」だった気がするが、現在の「アイデンティティ」は「これでいいよね?」だ。最初に「逸脱」といった格好つけた言葉を吐いたが、内実はこれである。どんどん人々の意識が「寛容」やら「多様性」の名の下に“毒抜きした”形でかつて「アングラ」や「サブカル」と呼ばれ、差別されてきたものを包摂する。都市を見ればわかりやすい。どこも均質化され、トポスなんて歴史の中にしか残滓でしか見出しようがない。伊藤計劃が『ハーモニー』の中で描いた白を基調にした都市像なんてのは素晴らしい皮肉だ。本来何かを訴えようとしていたネオンの光は、過剰さゆえにその意義をほとんど失った。現代社会は僕の言葉でパラフレーズすれば「意味の氾濫」だ。しかしそれさえも古い話だ。いまさらポストモダンだとかポストモダニズムなんてのも何の新規性もない。2018年を生きる僕らにとって、空気と同じだ。だが死んだり終わったとも思えない。ネットサーフィンしてみれば、より徹底した形のカリカチュアがいくらでも見られる。「都市」と「電脳空間」は同じ論理、「空虚さを前提とする商業主義」の双生児だ。ノスタルジーになるが、寺山修司の『書を捨てよ、町へ出よう』にあったストリートカルチャーは、遺物となってしまって、史跡として形を遺しているにすぎない。ヤクザや暴走族も身近でなくなってしまった。統計資料がどこかにあったので一度目を通してみるといい。PCの調子が悪いので後日加筆修正する。