鬱は抜けられるか? 前編

前回のブログは思った以上に反響があり(というか半ば炎上して)、僕に対してのネガティブな書き込みも多数見受けられ、かつての僕ならば酒と薬に頼って今は人事不省になっていてもおかしくはないほどの盛り上がりを見せてしまった。読者の期待する内容はきっと前回のブログと関連のあるものに違いない。だけれども、そもそもこのブログは僕の書きたいことをダラダラと、たとえつまらなくとも書き綴ることを目的として始めたものなので、今回は鬱病をテーマにいっちょ書いてみようと思う。

僕は現在鬱病の治療を受けている。2016年3月からメンタルクリニックに通っているのでもう1年とちょっとになる。実は最近はかなり快方に向かっているという実感があり、薬も徐々に減薬の段階に入ってきている。僕はなぜ立ち直ることができたのか? また鬱は本当に抜けられるのか? この問題に入る前段階としてまずは僕が鬱になった原因から書いていこうと思う。

僕が鬱になった原因は失恋である。いやこれだけでは正確ではない。僕が失恋したのは2015年10月頃のことであったが、まだその頃は死にたいなどとは露にも思っていなかった。僕が失恋した相手は大学の先輩だった。僕にとっては初恋で、もう彼女無しには人生を考えられないほどに熱を上げていた。10月頃の失恋は確かにつらかった。一週間ほど酒浸りになりゼミもその週は欠席した。僕は忘れらなかった。永遠の女性だった。

そんな中でも時は過ぎていって、ついに彼女の卒業式がやってきた。卒業式で僕は彼女に勇気を出して「一緒に写真撮りませんか?」と声をかけた。彼女は承諾した。僕は無邪気にそのことを喜んだ。ずっとこの言葉が言いたかった。僕らの仲は以前とは比べ物にならないほどぎくしゃくしてしまっていたが、この言葉さえ言えればすべてがチャラになる気がしていた。

僕はゼミの教授と親しかったので彼女のゼミの飲み会にも参加した。そして二次会のカラオケ。彼女と僕の仲の良い先輩、それにもう一人初対面の先輩を交えて4人で一夜を過ごした。歌は歌わずに主に四年間の思い出話が語られた。彼女がふとこぼした。「私~1年の頃に漫研に入ってたんだけど学園祭でコスプレとかしちゃって、男の先輩に写真撮られたんだよね~。あれ今思うとマジで消してほしいな~。」そして彼女は僕の顔を覗き込みこんなことを言った。「◯◯くんも今日撮った写真、絶対消してね!」

僕の中で何かが壊れた。僕はせめて彼女と笑って過ごしたその思い出だけを大切にしてこれからの人生を生きていこうと、忘れられない、だが忘れなければいけない、その激しい葛藤の中で、それだけを頼りにやっていこうとしていた。それを踏みにじられた。「私の四年間に位置を占めないでほしい」そんなことを言われた気がした。

僕は朝6時の名古屋駅で一人泣きながら写真を消した。涙が次から次へと溢れて止まらなかった。僕は衝動的に彼女のTwitterとLINEをブロックした。次の日先輩の勧めもあって彼女に電話した。僕はウイスキーを浴びるように飲み泥酔していた。会話の内容は覚えていないが僕は激怒した。電話を切ったあと彼女から謝罪のLINEがきた。そこから幾通ものやりとりがあったが結果は芳しくなかった。僕は絶望した。やりきれない気持ちと自己嫌悪と希死念慮だけがそこにあった。

「死にたい」そう一日中思う日々が何日も続き、まったく本を読めなくなってしまった。僕は一個の廃人だった。まずいと思った。今まで僕の人生はほとんど失敗続きだった。中高大と黒歴史は両手で収まらない。その度に乗り越えてきた。だがそんな僕でも今回ばかりは駄目だった。何もできない。頭は悲しみと憎しみと虚しさでいっぱいだった。僕は人の手を頼ろうと思った。真っ先に思いついたのはメンタルクリニックだった。

と、ここまで書いてみて思いの外長くなってしまったので続きは次回に回そうと思う。鬱病への言及が少なくなってしまって申し訳ない。これではタイトル詐欺だ。次回ちゃんと書くので許してください。

オフパコ、そして破滅

実はフォロワーに黙っていたことがある。

2017年3月17日僕は童貞を卒業した。オフパコだった。詳細はここには書かない。まずはこのブログを読んでくれ。

 

unknown-rainbow.hatenablog.com

 

このブログは僕のフォロワーの公的抑圧によるものである。ここに出てくるEとは僕のことでありYは椅子倉だ。界隈のフォロワーであればこれらは一目瞭然である。この記事を公的抑圧が投稿した時、正直言って僕は非常に面食らってしまった。ここに書かれている赤裸々な童貞喪失体験はあくまで酒の席でのオフレコであり、確かに僕は公的と椅子倉に「Twitterには書かないでくれよ(笑)」と忠告しておいたはずである。まずいと思った。僕が童貞ではないことがフォロワーにバレてしまうことは別に良い(僕は童貞喪失して以来童貞芸をやめていた)。本当にまずいのは僕のオフパコ相手である彼女(以下彼女)にこのブログを見られてしまうことだ。彼女は公的のフォロワーだった。彼女がこのブログを目にする可能性は大いに有り得る。僕はすぐさま公的にDMを飛ばした。

「ブログを消してくれ! いや消さないでもいい、せめて彼女をブロックしてくれ!」

 

 

 

......結論を言おう。僕のこの裏工作は一足遅かった。公的はこのブログを投稿した後、あろうことか風呂に入っていたのである!!

 

彼女からDMがきた。「◯◯、上のお口ガバガバかよ」

僕の頭は真っ白になった。これはよくない。大変よろしくない。怒っている。明らかに怒っている。この前まで真性童貞だった僕でもわかる。僕は探りをいれることにした。

「怒ってる?」

「ん?◯◯は賢いのだから自分の頭で考えて」

ダメだ......。いつもの気の抜けた彼女の文章ではない。とりあえず一刻も早く詫びをいれよう。優しい彼女のことだ。誠心誠意謝ればきっと許してくれるだろう。この時の僕はまだそんな甘いことを考えていたのであった。

だが彼女の返事はそっけなかった。「今日はひとまず寝る。」書かれていたのはそれだけだった。睡眠薬で薄れ行く意識の中、僕は思った。「明日が勝負だ。まだ逆転できる。考えてもみろ。これまで上手くやってきたじゃないか。とにかく明日だ。明日しっかりと気持ちを伝えよう......。」

僕は想いをしたためた。まだ出会う前Skypeで話したこと。初めての夜。名古屋に帰ってからもいつも脳裏にあったこと。毎日のDMのやりとり。そして一昨日の再会。すべてが楽しい思い出だった。僕にとっては初めてのことだった。たった一ヶ月間の甘くて淡い夢のような日々......。

彼女は僕を許さなかった。僕は泣いた。新宿の公園のベンチ。陽射しの強い正午の公園は幸せそうな人々で溢れていた。僕は震える指でタバコに火をつけた。思い切り吸い込んで吐き出す。涙が止まらなかった。向こうから公園の警備員が近づいてきた。「こんにちは。ここ禁煙だからね。あっちの水の広場で吸ってくださいね。」僕は力なく答えた。「はい。すいません。」

満身創痍で名古屋に帰った僕はもう一度だけ彼女に電話をかけた。結果は変わらなかった。彼女は言った。「元のフォロワー同士の関係に戻りましょう。」僕は承諾した。しかし、僕は耐えることができなかった。彼女のHNを見る度、彼女のアイコンを見る度、涙が頬を伝った。僕は彼女をブロックした。僕はどこまでも卑怯だった。

 

これが事の顛末である。読みやすいように細部は省略した。このどうしようもない話はそれでもある種の教訓を含んでいると思う。「セクシャルな話を他人にしてはならない。」当たり前だと思う読者も多いかもしれない。だが僕は喋ってしまう人間である。今回だけではない。僕の宿痾なのだ。どうしてもあけっぴろげに喋ってしまう。僕は人格破綻者だ。まともな理性を持った人間ならば決してこんなことはしなかっただろう。酒のせいと思うかもしれない。だが僕は酒無しでも喋ってしまうのである。もう本性なのだ!  俺はろくでなしなんだよ!!!

彼女は言った。「全部コンテンツにするためにやってたんじゃないの?」違う! 決してそんなつもりじゃなかった! 僕は真剣に君に恋していた!! 嘘じゃない嘘じゃない嘘じゃない嘘じゃない......。

いやいやいやちょっと待ってよ厭世詩家くん。君、そんなこと言いながらフラれた直後に「失恋しました(3年連続3回目)」とかツイートしてたし、昨日キャスでこのこと喋ってたし、現に今君、ブログに書いちゃってるじゃないwww

あ............いやまあ、うん。そうかもしれない。

ところでこの問題ってさ、ぶっちゃけ公的抑圧が全部悪くね??? 公的抑圧許せねえ!! 公的は早く大学に入って俺に女を紹介しろよな。自殺なんかしたらぶっ殺すぞ。                                                                       

葉桜の森の満開の下

今更言うまでもないが僕の大学生活は青春とは程遠い。海水浴、夏祭り、スキー旅行、クリスマス、etc...やりたいことはたくさんあったがどれも果たせてはいない。5年間も通ってやってるのに何たる仕打ちか。しかしながら昨日ついに花見だけはやることができたのでそれでも青春とは程遠い僕のグダグダな花見についてちょっと書いてみようと思う。

舞台は鶴舞公園。名古屋では桜の名所の一つに数えられる。上空から見た形がモンスターボールに似ていることから一時はポケモンGOの聖地として話題になり、もしかしてこちらの方が有名かもしれない。後輩の「花見やりましょう」の一言からこの企画は始まったわけだが、僕の灰色の青春にふさわしく鶴舞駅で待っていたのは野郎3人。実は女子も一人参加する予定だったのだが3時間も遅刻してきたのでスタートはこの4人である。

コンビニでしこたま酒を仕入れいざ場所取りに赴く。もう桜はほとんどが葉桜になっていてシーズンは過ぎていると思うのだが流石は桜の名所。大勢の人で賑わっていたがなんとか場所は確保できた。そこからはもうめちゃくちゃである。飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎ。話は藤田嗣治の戦時中の態度や自然主義文学、村上春樹の『騎士団長殺し』に大江健三郎の初期長編にまで及びとにかく退屈はしなかった。13時から19時までは飲んでいたと思うので都合6時間。ほとんど記憶がない。そこからさらに居酒屋へ河岸を変え21時まで飲みなおしカラオケへとしけこんだわけだがすでにゲロは5回は吐いていたと思う。

余談だがナンパもやった。「男だけで飲んでるんですがお姉さんたち一緒に飲みませんか?」と女子1~3人でいるところに片っ端から声をかけた。悲しきかなモチのロンすべて玉砕である。泥酔キモオタクから声をかけられたお姉さんたちも堪ったもんじゃなかっただろう。19の時にも同じ場所で先輩たちとナンパを敢行したことがあったのだが、「今何してますか?」というわけのわからない声のかけ方をやってしばらくは先輩たちからバカにされ続けた。その時のコミュ障っぷりに比べれば格段の進歩があったのではないかと思う。

家に帰ってからも4回ぐらい吐いた。1時半には寝たと思うのだが翌朝目覚めてもまだ気持ちが悪い。また吐いた。そして寝た。月曜日は唯一講義を受ける大切な日だったのだがやってしまった。2回目から自主休講である。卒業できるのか俺。

それはともかく花見は良いものである。酒を飲む。なんだかその行為が正当化されているようにも感じる。プラトンの『饗宴』じゃないけれどこれからも酒を飲んで文学や人生について語り明かすことは飽きてしまいたくない。そう思わせてくれた。俺の青春。これでいいのだ。

読書会のすゝめ

今回の記事は筒井康隆の例の騒動とで迷ったのだが、Twitterやキャスやで散々喋ったので、当初から書こうと思っていたこっちを書くことにする。

僕は最近読書会に定期的に参加している。結構大規模な読書会コミュニティで東京にも支部があるので、この記事を読んで興味を持った人にはぜひ参加してみることを勧める。参加者に僕のTwitterアカウントやこのブログを補足されたくないので、直接は書かないが「名古屋 読書会」で検索すると一番上に出てくる「猫◯倶楽部」が、僕の言うそれである。

読書会とは何か? もしかして参加したことのない人からは馴染みの薄い言葉かもしれない。読書会とは決められた課題本をみんなで読んできて感想や意見を共有する会であると、一般的には定義づけられるであろう。勉強会よりは敷居が低く、あくまで趣味の延長線上で、会話を楽しむことをその主目的とすると、付け加えてもいいかもしれない。

今僕たちが何か勉強しようと思う時、一番手っ取り早い方法はその分野に関する本を読むことである。関心の度合いによってはWikipediaで事足りることもあるかもしれないが、やはりネットの情報はあくまで加工された二次的な資料であり、正確で本質的な情報を得るには一次資料にあたることが求められる。そうやって一人で勉強することはできる。しかしそれには限界があると僕は感じている。早い話が書物との対話で得られる知識や認識は、限られているだろうし、そのままでは役に立たない。文章にするにせよ、発話するにせよ、抽象的なイメージを他者の理解可能な言語に落とし込む必要がある。

その際に僕は本に関しての他者との会話が助けになると考えている。大学は講義を聞きに行く場所ではない。本を読み、教授や学生と、それらの本に関しての会話をすることで、達意可能な生きた学識を身につけていく場所である。また殊に人文系の学問の解釈は一通りではない。だがどうしても自分一人の読書だけでは一つの解釈に凝り固まることが往々にしてあり得る。他の解釈を知るためにも他者との会話は重要なことである。では実際的にそういった場所の選択肢は僕たちにいくつ与えられているだろう。

まずは大学に所属することである。同じ本を読んでいる友人を作ることは比較的容易い。また専門の教授もいるし学会もある。学会は本に関しての会話ということでは役に立たないが、教授や院生による現行のアカデミズムの最前線にある研究成果を聞くことができる有意義な場所である。だが大学を卒業してしまうとなかなかそうはいかない。同じ本を読んでいる友人を見つけ出すのは困難だ。そこで読書会の出番である。

僕の参加している「猫◯倶楽部」の参加者は30~40代が主要である。僕のような大学生は珍しい。彼らの話を聞いていると、職場で同じ本はおろか本を読んでいる人自体がそもそも稀有である。一つには社交の場、コミュニティとしての機能を果たしていると言えるだろう。この「猫◯倶楽部」では何を話すのも自由だが「他人の意見を否定してはならない」というルールが一つだけある。このルールが面白いと僕は思う。先に書いた学会などは、あるいはいわゆるマウンティング合戦であると評してもいいかもしれない。だが「他人の意見を否定してはならない」という「猫◯倶楽部」の読書会は、必然的に多様な意見の出やすい環境になっている。これが僕たちの視野狭窄を緩和してくれる。読書会の一番のメリットはここにあると思う。

もちろん選択肢は一つではない。この「猫◯倶楽部」を主催しているTさんに面白いことを聞いた。批評家の東浩紀が「ゲ◯ロンカフェ」の何かの放送で酔っ払って「猫◯倶楽部」のことをdisっていたというのである。発端は東浩紀が「純文学系のイベントで人を集めるのは難しい」とTwitter上で発言したのに対し、「猫◯倶楽部」のベテランリピーターであるNさんが、「「猫◯倶楽部」はこれだけ集めた実績がある」と返信したことにあるらしい。はっきり言って両イベントは大前提として需要が大きく異なっていると思うので、これはニュートラルに見て東浩紀の側の分が悪いと思う。

それはともかく、「ゲ◯ロンカフェ」もまた現代における人文学を勉強したいと望む人たちの寄る辺だと言えよう。「猫◯倶楽部」と比較するならば、端的に言うとこっちはガチでありやや敷居が高い。また友人を作るのが難しいのが難点であるだろう。だがこれも選択肢の一つであることには間違いない。選択肢は多ければ多いほど良い。また複数選ぶこともできる。そうした選択肢がこれから一つでも増えることを切に願っている。

なぜブログを書くのか

ブログを書く理由は人それぞれあると思う。僕がなぜTwitterだけでは飽き足らず、ブログを書こうと思うのか。一つには自意識の開陳という愚劣な欲動があるのだけれど、一応の理屈付けはある。

まず文章の修練になる。僕の文章ははっきり言って下手くそだ。とても人様に見せられるような代物ではない。それはわかっている。ならば日記でもいいのだろうけど、僕は日記を3日以上続けられた試しがない。私大ですら4年で卒業できないいかげんな男だ。続くはずがない。だけれども人の視線を介在させたならば僕みたいなグウタラな人間でも存外マメになれる。それがこの不毛な二年間のTwitterライフで得た知見である。

と、ここまではわりとありきたりな話だ。理由はもう一つある。ところで僕の卒論は筒井康隆である。多分誰も知らないと思うが『ダンシング・ヴァニティ』という2010年に上梓されたにも関わらずもうすでに絶版となっていて、かつ批評も2つしかないという読者からも批評家からも見放された不遇の長編小説だ。要旨の詳細についてはここでは省こうと思う。それでも少し書くと、だいたいメタとかループとかに、お決まりの佐々木敦(『あなたは今、この文章を読んでいる パラフィクションの誕生』)だとか現代思想だとかを、たいしてわかりもしないくせにこじつけていっちょまえにテクスト分析と現代社会を語ってみたりした愚にもつかないあの感じである。

この論文が僕の指導教授から受けた評価は、前半は細密な構造分析がなされているが、後半に行くに従って客観性実証性に欠け、まるでお前がふだん居酒屋で巻いているあの管のようだというものである。僕としては書くときは一生懸命書いたのだからもう少し褒めてくれてもいいだろうと思わないでもなかったが、後半部分がこのような評価を受けることはある程度想定内であった。なぜなら僕は僕の世代のある種の実感というものを書こうとしていたからだ。

僕がそれを構想したのは、はるしにゃんが契機である。僕はある日タイムラインに並ぶその文字列に興味を持ち、何気なくグーグルの検索窓に打ち込んだ。そして彼がもうこの世にはいないことを知り、数々のネットユーザーたちに大きな影響を与えたかけがいのない存在であったことを知った。僕は他方で別のことを考えた。はるしにゃんは確かに死んでいた。だが彼と話したこともなければ会ったこともないこの僕でも、はるしにゃんがどういう人間であったのか、その輪郭がくっきりと見えるのである。インターネットは人間を延命させられる(はるしにゃんのブログは最近消えてしまったが......)。これが僕には希望に見えた。

人間は死んでしまえば終わりである。僕は宗教とは死後のためにあるものだと思う。だって死んでしまって何も残らないのであれば、現世でのあらゆる努力は一切無意味である。先々のことを考えて~と言ったって、明日死んでしまえばそんなものなんの意味もない。しかし僕は手放しに宗教を信じる気にならない。なんとなく思考を放棄しているような気がする。これが僕の無神論者たる粗末な所以である。こうなると人生は無明の闇だ。虚無主義だ。デカダンだ。

......だけれどもそれでいいのか。いや僕は嫌だが、ではいかにして......。こう考えていたときに僕はTwitterに触れ、はるしにゃんを知った。普通人間が死んだら有名人でもない限りは近親者や友人にしかその死は共有されない。しかし情報として電子の海を漂っておけば、たとえ死後でも赤の他人であっても、人間を想像してくれる。読まれることによって人間はあたかもフィクションの登場人物のように再生される。僕の卒論では「実存のアーカイブ化」なる御大層な造語を使った覚えがあるが、僕が長々と語ってきたことの行き着く先はつまりこれである。僕という存在を残したいのだ。

そのためにはTwitterでは不十分なように思えた。だからブログを書く。更新は週一ペースで。その都度何か書きたいことを書こうと思う。僕を生存させるための何かを。