俺みたいにはなるなよ

 8/26に院試があったので名古屋から上京した。僕はいつもフォロワーのシェアハウス(迷惑がかかる可能性があるので名前を伏せます)を定宿にしている。疲れていたし他のフォロワーたちと23:00から飲む約束をしていたので、シェアハウスで睡眠薬を飲んで仮眠を取りたかった。だが運の悪いことにその日はシェアハウスで勉強会が行われる日で、20人ぐらいの人々がクーラーの効かない室内をひしめき合っていた。実はそのシェアハウスは政治色のかなり濃い場所で、集まった人々は皆なんらかの政治的主張を持った若き政治青年たちである。ポンコツ文学青年の僕としては、これはまた場違いなところに来てしまったなあと思いつつも、周りの空気に流されて、末席に連なりちょっと見物をすることにした。発表自体はとても興味深かったのだが、ほとんど知り合いがいないので気まずいなあと思っていたところに、また他のフォロワーから飲まないか?とDMがやってきた。これは渡りに船と思い、熱気に包まれる会場からひっそりと抜け出し、しばらく駅前の居酒屋で一杯やった。これがいけなかった。

 相方は1時間ほどで帰ってしまったので少し予定を早め、22:00すぎ頃に飲みの約束をしていたフォロワーを呼び出した。酒盛りは大いに盛り上がった。ところで、僕は決してお酒には強くない。結構イケる口ではあるのだが、いつも限界を超えて飲んでしまう。記憶を飛ばすこともしょっちゅうで、23歳にして酒の失敗は数え切れない。この日もこの二軒目に入ってから1時間以後の記憶がまったくない。あとから聞いた話によると、フォロワーを思いっきり蹴り飛ばし、大声で「だんご大家族」の歌詞のだんご部分をすべてまんこに変えた「まんこ大家族」を歌ったりして、店員に追い出されたそうだ。ここまでは良かった。

 

 次に意識が戻った時、僕はマンションの踊り場で4人の警官に囲まれていた。頭脳明晰な僕は瞬時に状況を理解した。がさ入れだ!!!

 

 シェアハウスに戻ってきた僕はなんとがさ入れの現場に遭遇してしまったのである。さきほども書いたように今シェアハウスの中には運動家たちがたくさんいる。部屋をあらためられてしまったら最後、今後の彼らの活動がやりにくくなることは間違いないだろう。逮捕者も出るかもしれない。卑劣な国家権力め。深夜に押しかけてこんなだましうちのような形で、少しでも社会を良くしようと日夜努力している政治青年たちを無実の罪で塀の中に入れようというのか! この世界は狂っている! 恥を知れ!

 この時の僕は間違いなくメロスだった。いやセリヌンティウスかもしれない。ここで僕が人身御供になれば彼らを守ることができる。そう閃いた僕は彼らにあえて捕まることにした。パトカーに乗せられ警察署に連行されたようなのだが、どうもこの時の記憶は明瞭ではない。警察署では苛烈な取り調べを受けた。何かよくわけのわからないことを警官たちは言ったが、僕は断じてシェアハウスのことは黙秘した。ついには所持品もすべて没収され、独房のような場所に連れて行かれた。独房には硬いマットレスと薄汚い毛布しかなく、外から鍵がかかっていた。しかしこの状況下にあっても僕は自分が誇らしかった。友人を、そして多くの前途有望の若者たちを守った。僕は自分に勲章を与えてやってもいいと思った。

 翌午前10時、名古屋から母が来て僕はたくさんの警官に囲まれながら釈放された。そして母に自分の義の行いを得意顔で語った。しかしなぜか母は悲しげだった。母の返した言葉は驚くべきものだった。

  「さっき警察の人に全部聞いたんだけど、実際にあったことは君の言ってる話とは全然違うの......」

 

 真相はこうだ。僕がいたビルは実はフォロワーのシェアハウスの隣のビルだった。僕が「開けてくれよ~!!!」と明け方騒いでいるのを見かねた住人が110番した。実はがさ入れなんて最初から無かったのである。住人が告訴しなかったから良かったものの、もしも訴えられていたら住居不法侵入で前科一犯である。世界よごめん、狂っていたのは俺の頭の方だった。母は執拗に僕を名古屋に帰らせたがったが僕は真相を知ってもなお帰りたくなかった。まだ今日の飲み会の約束が残っている。

 シェアハウスに帰りこの話をしたらみんな呆れ果てていた。どうやら僕の声は隣のビルから届いていたようである。だったら誰か助けてくれよ。

 それから睡眠薬を飲んでしばらく眠った。13:00からフォロワーの公的抑圧と大槻ケンヂ縛りのカラオケをする約束をしていたが、公的抑圧から連絡を受けた住人に叩き起こされた時刻は14:30である。眠い目をこすり約束の御徒町に向かった。乗り換えの神田駅で缶コーヒーを買って飲んだ。これがいけなかった。

 どうやら昨日の酒が残っていたようである。口を抑えトイレに駆け込んだ。間に合わなかった。しかもを口を抑えていたせいで全身がゲロまみれになってしまった。僕は個室に駆け込みパンツ一丁になって泣きながら公的にDMを送った。頼む。服を買ってきてくれ。ちなみにその時着ていた服は太宰治の顔と「I'm sorry I was born.」という文字が印刷されたイカしたTシャツである。顔面ゲロまみれになった太宰はいつにもまして憂鬱そうな顔をしていた。

 公的とのカラオケは楽しかった。すべての嫌な出来事を忘れさせてくれた。大槻ケンヂのサーチライトを歌った。その曲にこうある。

俺みたいになるなよ

俺みたいになるなよ

俺みたいになるなよ

俺みたいにはなるなよ