文系院進を考えている人へ

  僕が某大学院に入ってから2ヶ月が経った。とりあえずなんとか追い出されずには済んだ。院ロンダだったのでかなりビビッていたのだが、雰囲気はイメージしていたものとは大差なかった。厳しくレベルは高いがついていけない程ではない。大学院について思うことを、ポンコツ学徒の視点から、雑なエッセイとして書ける範囲で書こうと思う。

 

  社会科学はともかく、人文学を院で学びたいという人たちはとち狂っていると形容しても誇張でもなんでもないような現在の社会状況において、それでも院進したい人はそれなりにいるようである。社会に出るまでのモラトリアムの延長、資格の取得(臨床心理士等)、あるいは教員志望者の給与UPのため、学識をもっとつけたかったり、アカポスに就きたかったり、ただ流されてという人や、留学生もたくさんいる......そうした人たちの一助となればと急に思い立ち筆を取った次第だ。

 

  タイトルで文系/理系と雑に分類したのは、僕が文系のしかも自分の研究科の自分の専門(明記しないのも読者の混乱を招きそうなので僕は日本近現代文学が専門だということを示しておく)のことしか正確には語り得ないといった限界があるからである。よってこの文章では理系のみなさんのことは書かずにおく(軽視・蔑視しているわけではないので誤解なきよう)。大学院ごとにカリキュラムや、制度、学生・教官のやる気やレベルに差異はあるだろうが、できるだけ包括的な一般論と、自己の経験を交えながら、後輩たちへのアドバイスができたらいいと思う。

 

  まず大学院に入るには、学士を持っていなければならない(合ってるよね?)。社会人入試や内部推薦などについてはよくわからない(比較的外部入試よりは難度が低いと聞く)。僕自身名古屋の方の大学から外部の人間として入ってきたので、まずその個人的な体験を語りたいと思う。僕の専門分野は、1.卒論(書けていない人はそれ準ずる論文)と願書(研究計画書のいる場合が多い)の提出 2.外国語のペーパーテスト(多分野では1科目で済まない場合が多い) 3.専門科目のペーパーテストまでが一次試験で、二次試験はこれから実際に教わる教授たちとの面接だった。外国語に自信のある学生ならまず外国語は問題無いと思う(僕のように院ロンダしなければ)。専門科目に関しては、問題の傾向を過去問(だいたいの院は無料で取り寄せできる)から探ることができるので、対策は立てやすいと思う(ただしいきなり出題形式が受験年からガラリと変わることもあるので注意)。これらで足切りされなければ、ようやく二次試験の面接にたどり着ける(一次試験の結果が出るまで3週間ほどかかる場合もあればその日に行う場合もある)。

 

  面接の思い出を語ろう。面接官の教授は確か4人いた。全員がこちらを睨みつけているように感じられとても緊張した。企業の圧迫面接とはこういうものなのだろうかと想像したりした。なにせこの業界では名の知れた大物研究者ばかりである。志望動機と研究計画をまず聞かれた。そして試験の結果への感想が述べられるのだが「君、英語の点数があまりに低すぎて、今日ここに呼ぶかどうか教授会にかけたんだよ」と言われた。その瞬間冷や汗が止まらなくなった。そこからは各教授から個別に専門的な質問が飛んだ。もう何を喋ったかもあまり思い出せないが、とにかく固有名をたくさん挙げ、口八丁手八丁で誤魔化したと記憶している。結局合格したから良かったのだが......(ちなみに3校受けて1校だけ運良くひっかっかった)合格通知はネットでしか見られないという形式だったが、半ば諦めていたので、自分の受験番号を見つけた時は、狂喜乱舞した。

 

  そうして、4月から大学院が本格的に始まった。僕の研究科では、修士を終えるためには32単位を取得しなければならない。学部生からしたら少なく思えるだろうが、一つ一つの講義演習の密度は想像を絶した。月〜木まで1〜3コマずつしか入れなかったのだが、このエッセイの執筆現在すでに満身創痍である。というのも一回の講義で、レジュメを何十枚と渡される。自分の勉強も併せて調べ物をせねばならず、僕の家にはすぐにレジュメの地層が出来上がった。演習発表は前期だけで、3本あり、その準備で毎日図書館通いをする羽目になった(と言っても現在まだ2本発表を残しており数本のレポートも学期末に書かなければならない)。読まなければならない本は日に日に増えていく。取捨選択と要領の良さの重要性を思い知らされた。理系院生に比べ、文系院生は楽というのは真っ赤な嘘である。いや実際に理系院生の方が忙しいかもしれないが、文系院生も生半可な覚悟で入れば必ず落伍すると思う。同期や留学生や先輩の意識の高さ、教授連の要求度の高さには、眼を見張るものがあり、改めて研究者になる法、いやそれ以前にこの環境でどうにかしがみついていく法からして、考えなければならなかった。僕は鬱病持ちなので、ことにきつかった。焦燥感と苛立ちから15kg痩せた。とにかく一日中勉強について考えなければ、よっぽどの天凛を持たぬ限りは、退学せざるを得ない。

 

  院生は学部生の延長では決してない。まったく別物である。さらに言えば、これはM(修士課程)の話で、D(博士課程)まで進むなら、並大抵のモチベーションではポッキリ折れてしまう。M2に上がればすぐに修論準備である。まとまった論文を3〜5つ書かなければならない。そこまで思いを巡らすと、胸が苦しくなってくるのだが、これはあくまで課程を終えるために必要な最低限のことだ。もちろん専門科目を深めることも肝要だが、多種多様な研究手法の体得、学際的な知の蓄積が、先に待ち受ける博士論文を書く上では必要不可欠であると感じる。先行研究を真似るだけでは、所詮そこまでだ。研究として価値のあるものの創造。それには技倆だけでなく、分野の制度を掴む必要がある。これもなかなか難しい。また博士課程に進むための試験の準備もしなければならない。もちろん院試よりも難易度は高い。

 

  ここでお金の話もしておく。ある非常勤講師から聞いた話では、M2D6を標準として、ようやく博士号が取れ非常勤講師に昇格できるらしい。つまりその間の学費・生活費をどうにかしなければならない。多くの院生たちは日々バイトをしている。僕はしばらくは親からの援助と奨学金で賄えそうだが、いずれ資産の寿命も尽きる。DCという助成制度もあるが審査は厳しく(学会発表、査読付き雑誌への寄稿などの業績も評価基準となる)ほとんどの人は貰うことが能わない。博士論文の執筆は(仮に博士課程に進めれば)、バイトをするのか一度就職するかは決めていないが、働きながらになるだろう。博士論文には査読がある。博士号はそう容易く手に入るものでもない。やれやれ不安は湯水のように溢れ出る。

 

  ここまで暗い話ばかりした。なので最後は希望のある話(現実と遊離したオプティミズムかもしれないが)をして締めたい。不満と不安を徒然なるままに書き散らしたが、なんだかんだでこの道を選んだことに僕は後悔はない。たくさんの発見があり、知の奔流で揉まれることで、日々自分が進化していると感じることができている。また愉快な仲間(もとい同志や戦友と呼んだ方が適切かもしれない)たちにも恵まれた。毎日とにかく疲労困憊だが、とても充実している。濃厚な一日一日を過ごせている。学問は、この誰もが、過剰な情報の氾濫に囲繞され、物事を感覚的に判断し、経済的実利や均質的幸福を、積極的にせよ消極的にせよ肯う現代社会においては、路傍の石程度の扱いでしかあり得ないのかもしれない。しかし少なくとも僕は楽しい。それにまだ僕はこの虚学の力(自虐的かつ大仰な言い方だけど)を信じている。あなたが少しでも意欲や興味のあるならば、この道に一歩足を踏み入れてみるのも一つの手かもしれない。挫折や道草は人生には付きものだ。いささか自己啓発本的まとめになった。思いの外長文になってしまったが、今進路に悩んでいる誰か一人でもいい。何かの参考になれば幸いである。

 

以上ポンコツ院生より