フォロワーが自殺したらしい

 フォロワーが自殺したらしい。僕とはゆかりの深い人だった。複雑な事情があるので、以後仮名Aとする。一つには死者を冒涜したくないからである。僕はAのすべてを知る由もない。Aはどちらかといえば寡黙だったし、語りたくない過去もたくさんあったからだろうからだ。

 今僕は少し酒を飲んだ。懇意にしていた人物が死んだにも関わらず、僕の心にほとんど波風は立っていない。Aは恨むだろうか。せめてもの献杯をした。おまけに精神安定剤のODに併せて睡眠薬を飲んでこの文章を書いている。Aはきっと自分の消失を知られたくないだろう、だけれども僕は記録したい。完全なるエゴのなせる業だ。

 今日僕はAの亡くなったことを知った。形式的かもしれないが、Aには安らかに眠ってほしい。お疲れ様と言いたい。Aは特定されることを望まないであろうから、具象的なことは書かず、抽象的に僕なりの鎮魂をしたい。

 私事だが、2018年3月はトラブル続きだった。死んでしまおうと何度も思った。4月になってAとの交流が始まった。僕が生き延びられたのはAのおかげであったといっても過言ではない。Aは気遣いのできるとても良い人だった。今日は池袋で飲んだ。池袋ウエストゲートパークを横切る凡夫の群れに僕は殺意を向けた。Aが自死を選び、くだらない畜群どもはなぜ死なないのだろうと思った。Aは誕生日が近いので誕生日会をやってほしいと言った。でもその前に死んでしまった。Aは死亡時期が定かではないので(恐らく5月下旬だと思うが)、断定はできないが21歳で逝去した。

 死とはなんだろうか? 人は生まれたからには必ずいずれ訪れるものだ。絶対的であり、誰しも逃れることができない。先に謝っておく。昨日の午前3時過ぎ、フォロワーの女の子が号泣して、「生きることが難しい」と通話をかけてきた。僕は一時間半彼女の話を聞き、慰めた。彼女には死なないでほしい。生きづらいのだろうが。それでも。しかしAは死んでしまった。しかも自らを殺した(と推定される)。

 僕がAの死を知ったのは今日のことだ。もう二ヶ月近く前にAは死んでいたことになる。Aは憤るかもしれないが、僕はあまり動揺しなかった。Aの死の直前(と思われる時期)に連絡がとれなくなっていたからだ。Aは僕と交流のあった頃からAは強い希死念慮を持ち、度々自殺企図をしていた。覚悟が僕の中でできていたからかもしれない。Aの遺品を二つ持っている。僕は生涯保管するつもりだ。Aはそれを望まないかもしれないが、僕は捨て去ることができない。赦してほしい。「死人に口なし」という言葉がある。だからAは赦せないだろう。

 Aの身元がわからない限りで書くと宣言した。だから具体のエピソードは極力控える。だが、印象に残っていることを一つ書く。向精神剤ジャンキーのフォロワーがいた。Aに紹介したらたちまち仲良くなった。これから書くエピソードは現実とも空想と捉えてほしい。僕の家で三人でロヒスニをした。ロヒスニとはロヒプノールという向精神薬を小型のストローで鼻から吸引することだ。5倍キマるとの都市伝説がある。汚い話だが青い鼻くそがしばらく出る。とても気持ちがよくなるのだ。そんなことを思い出す。

 AにはOD癖があった。躁鬱病だった。死にたがりだった。懸命に生きようとしていた。しかし地理的に僕らの元から去って結果的には自決した。止められなかった。あまり多くを語りたくない。というのも僕の中で受け止めきれていないからだ。今は悲しいとさえ思えない。僕には冷たい血が流れているのかもしれない。父母が亡くなっても泣けなかったら僕も死のうと思う。

 

PS. Aのこと1/4は僕が殺した。引き止められたはずだ。それに僕は君をたくさん傷つけた。君は優しいから「そんなことないです!」ってきっと言うんだろうな。別に悲劇の主人公になりたいからそんなことを言っているわけではない。Aと親交を結んだ時点でAは過去にほとんど押しつぶされそうな状態だった。僕がAを殺しただなんて言うのは傲慢に過ぎるだろう。本当のところはわからない。ただAのことを忘れたくはない。そして月並みになる。最後に。ご冥福を祈りたい。つらかったんだね、わかってあげられなくてほんとうにごめん。もっとはなしたかった。

                                厭世詩家と女性