夜は魘される

 午前4時、アタマの中を大音量で鳴り響く「ボヘミアンラプソディー」を誰か止めてくれないか? ひどく魘され目が覚めてしまった。断薬をしていた。いや、というより、メンクリに行くのが億劫で、やむを得ずこうなってしまっている。5日目ぐらいか? 向精神薬を飲まない暮らしは離脱症状との戦いで、それより生存に必須な必要最低限の家事ができず、また馬鹿にされるだろうが、ちょうどお袋の誕生日もあったので名古屋から召喚し、面倒をかけている。そのため今も、老いたる母は、僕の自室の隣の四畳半で寝ているわけで、こんな時ばかりは、無謀にもルームシェアリングを試みワンルームを借りなかった過去の自分に感謝する。

 

 お袋の誕生日で思い出したが、今年僕はもう25になる。25年間といえば四半世紀で、当たり前なのだけれど、その当たり前のことが僕を苛む。「いや~30までは学生続けるかもwww」と笑っていられたついこの間が、とても遠くに感じる。病気療養中と世間様にはごまかせばいいのだろうか? 25で無職。現実味を帯びてきた。ストレッサーとなっている要因に久々に向き合った。どうも本当に自分を破滅せしかねないような精神的負担は自己防衛機制から無意識に忘却されるようだ。よく聞く言説が信じられるようになってきた。

 

 トラウマとの向き合い方。こんなことを、10年間できなかった、しかも今もなお苦悩の只中にある男が書こうとするのも滑稽の極みだが。「ベルセルク」という漫画を読んでいた。以後若干のネタバレを含むのでアニメ視聴組はそっ閉じしてほしい。あらすじを概説するのも、上手くできる自信が最早失われてしまったので、割愛する。「ベルセルク」は鷹の団の面々を巡る一つの<神話>の創出に、その妙味があると思うが、一方で、忌まわしき事件との向き合い方をそれぞれのキャラクターを通し描出している点に着目したい。復讐の怒りに燃え毎夜魑魅魍魎と文字通り格闘し続ける主人公のガッツはさておき、同じ災禍の中で心を閉ざし「考えることも感じることも無く只遠い闇(くらがり)からぼんやりと眺めていた」キャスカについて軽く述べる。今さら書くまでもないことだが、荒唐無稽な物語及び登場人物について種々論じることについて前段として。一考だに値しない稚拙なフィクションも一部あることは認めずにはいられないだろうが、人の産み出す物語の多くは、その想像力には良くも悪くも限りがあり(話型分析を想起する)、だがそれゆえに凝り固まったわたしたちの現状認識を改め直す源泉となり得る。「ベルセルク」を例にすれば、眠れる夜は来ないといったガッツの悪霊たちとの戦いが即ちガッツの心象風景を表していると看取することは容易だろう。ようは、このような読解から見える描写法は、「言い換え」方の一つなのである。イメージを更新していくことによる解きほぐしこそ、物語を「読むこと」の効能といの一番に挙げられることだろうが、消費物的娯楽としてフィクションの取られることの多い現在の傾向への言及をしておきたかったのでこの機会に。錆びついたアタマでつい話が横道に大幅に逸れてしまった。トラウマとの向き合い方、そして、キャスカはどこへいった。やはりコンサータに頼らなければ俺はダメなのか......。

 

 再びキャスカの話へ。最新(40)巻で、妖精(エルフ)の王の力と、ファルネーゼ、シールケの協力により、キャスカはようやく正気を取り戻す。その様子は前(39)巻より描かれる。描写としては、キャスカの深層心理へとファルネーゼとシールケが降りていき、キャスカの心象風景世界でキャスカの根幹を成す記憶の追体験が行われる。作品自体の解釈への誘いにも感じられる。キャスカが呆けても抱えきれなかったものが、生々しく、おどろおどろしく描かれるが、キャスカのセクシュアリティと体験も相まってか、男性器を模した怪物が多い。そして最後には醜い赤子に至りつく。ジェンダーセクシュアリティで喧々囂々の議論ができそうだが、これは個人的な随筆であるし、僕のうろんな今の状態では書ききることもできなさそうなので、止むなくここでは触れないでおく。物語はその後キャスカとガッツの再会、そしてその再会を引き金にキャスカは再びトラウマを想起し慟哭、その後どうなったかは40巻では描かれない......。

 

 こんな感想文を書きたくなったのは、さっきふと自分の年齢について考えていると、今このように落魄し浮き上がれずにいるいくらかのトラウマと常に向き合っていたつもりでまったく無意識に忘却していたことに気が付き、自分の生きた、あるいは自分しか知りえない生きた忘れうべき人々を否定している心持ちがし、とても嫌気の差した一方で、キャスカの忘却という選択肢もあることを思い出したからである。本当につらい体験からは逃げてもいいのかもしれない。そうしなければ、心身に著しく支障を来すことは、自分自身で十分実証済みだ。今これまでになく、歯痒い、ピリっとしない文章しか書けず、そのことにより受けるショックの大きさからもそれは傍証される。文章を書くことで全能感を感じられたのは、いつまでのことだろう。そろそろ夜のくらがりが晴れ、空が明るくなってきた。僕のアタマの中もそうであればいいのにと、心から思う。