彼女は運命の女だった

更新を1年半も怠ってしまった。どんなに自堕落に生きている人間でも、それだけの歳月があれば、多種多様な個人的事件があるわけで。まとまった文章にするには、頭脳の迷乱が酷く、今日までとても書き記すことが出来なかった。というわけで、空白を少しずつ埋めていこうと思う。

 

まずTwitterにも書いたことなので、熱心なウォッチャーはある程度の事情を知っているだろうが、前の記事に出てきた交際相手とは結局10ヶ月しか続かなかった。原因は色々と思い当たるが、極言すれば、僕がダメ人間から更生しきれなかったことに尽きると思う。いちいちトラブルを列挙するつもりはないし、大っぴらにしたくもない。

 

※以下に記すことは解決済みである。

今年の1月下旬、些細なことから彼女と大喧嘩した。彼女は僕の言動が「DV」にあたると騒ぎ立て、僕はそうは思わなかったので、カッとなって、「こんなことがDVだと言うのなら出ていってくれ! 警察にでもなんでも駆け込んで保護してもらえばいい!!!」と、当時の僕の下宿にほぼ半同棲していた彼女を追い出した。まさに売り言葉に買い言葉。こうした喧嘩は交際以来よくあったことなので、しばらくしたら、また仲直りできるとたかを括っていた。甘かった。翌日、警察に叩き起こされ、彼女から「ストーカー規制法」の申し出があったことを聞かされた。青天の霹靂だった。この悪法に対する文句はまた別の機会に筆を取ろうと思うが、とにかく理不尽な仕打ちに感じられ大号泣したあの惨めさだけは、生涯忘れられないと思う。

 

それからは、1ヶ月ほど寝込んだ。できることは最早なかった。引っ越し準備まで進んでいた同棲計画は水疱に帰し、悲嘆に暮れる僕は、差し当たり実家の名古屋に引き上げた。このことは当時SNSに書かなかったのではなく、書いたらお縄になってしまうので書けなかった。無事前科者にならずに済んだが、以前留置所に何日かお世話になったことがあり、警察や法律を前にして、一個人がいかに無力であるかは身に染みて知っていた。実家でもほとんど寝込んでいた。

 

6月ごろのことだと思うが、以前から親交のあった、これまたTwitter経由の女性となんとなく通話等で良い雰囲気になった。打算的で自分でも嫌になるが、弱りきった心を慰撫してもらう目的で、就職口を探すというタテマエの元、その子が居を構える東京へと会いに行った。それだといかにもヤリモクなので、まずは就職活動の準備として東京で賃貸を探すついでだということにした。ビジネスホテルにとりあえず1泊したのだが、翌日その子に飲みに誘われて、その日に付き合い始めた。宿泊費を浮かすために、2週間ほど居候させてもらった。楽しかった。

 

良い物件が見つかったので、僕は一先ず名古屋に帰り、引っ越し準備をだらだらとやって結局また2週間後ぐらいから東京での生活を始めたのだが、なんとなくその子はそっけなくなってしまい、連絡に反応してくれないことも多く結局二ヶ月持たずに別れてしまった。なあなあの気持ちで付き合ってはいけないという良い教訓になった。いや、ちゃんと好きでしたよ。

 

その子とにゃんにゃんするために買ったセミダブルのベッドで、結局2人ほどとオフパコをしたが、ついに彼女とそのベッドで眠ることは一度もなかった。やることもないので、就職活動を少しやったが、コロナ禍ということで時期も悪く、まともな求人がなかった。僕はぽっきり折れてしまった。そもそもいざとなると、やりたい仕事、もとい、やってみたい仕事すら、わからなくなってしまった。

 

人間関係も例の如く煩わしくなり、だいたい引きこもっていたある日、ストーカー規制法を僕に適用した彼女から連絡があり、訴えを取り下げてもらった。素直に嬉しく、枯れてしまったはずの涙が止まらなかった。未練はたらたらだったが、今さらやり直せるはずがなく、また向こうはすでに新しい彼氏を作っていて、本人曰く上手くいっているそうだったので、煩悶させられた。向こうは、友人でいたい、と言ってくれたので、僕も一ヶ月ほど精一杯それに徹したが、やはり自分の気持ちを偽るのは耐えきれなかった。僕はせっかちだ。決心して、想いを告げ、お互い分かっている通り、万に一つもまた恋仲になるのは不可能なのだから、全ての関係性を今度こそ絶とうと提案し、向こうにブロックしてもらうことにした。そして、縁が完全に切れた。

 

もちろん、ここまで潔い態度が取れたのだから、いわゆる忘れるということに専心したし、今もそうである。ただ、やはり彼女は僕にとって運命の女だった。もしかして、彼女がこのブログを読んで、心変わりしてくれるだなんて、甘ったれたことはさすがにもう考えていない。だが、本当のこととして、彼女のことはいつだって思い出してしまうし、きっと本当に愛していたのだと思う。人間は合理的にできていない。良くないことだと分かっていても、後悔こそやめたものの、彼女との人生を未だ夢想してしまう夜は否応なしに訪れる。

 

また次回以降書こうと思うが、僕は、やりたいことをようやく見つけ、やむなく2年間ほど実家に戻ろうと思う。覚書として、破局とそれからを、淡々と書きたくなったまでだ。関わりはなくなってしまったし、お互いに随分と酷い仕打ちをした。その上、僕には、未練を完全に消し去ることはどうもライフワークになりそうとさえ思えるが、一つだけ言えることは、僕のことは綺麗さっぱり忘れて僕のいない世界で、今度こそ幸せを志向し納得のいく生を歩んでほしいと、無責任だが、心の底から願っている。