ここ3年間

1. 2020年1月下旬に、同棲・結婚を考えていた初代彼女に振られた。餓死してやろうと、飲まず食わずで寝たきり生活をしてみたが、挫折した。改めて、生き仏やハンガーデモに挑戦する人々の覚悟を知った。希望を喪ったボクは、中野区の賃貸を引き払い、郷里の名古屋の実家に戻った。父は他界し母との2人暮らしである。

2. 2月下旬に実家に帰った。ほぼほぼ活動出来なかった。やはり初代彼女を引きづり続けていた。6だったか7月に、やはり東京で働きたいと、上京した。


3. 幸運にも、物件探しのため、仲の良かった長い付き合いのフォロワーと遊び、2週間ほど、下宿させてもらえた。向こうも長年交際していた彼氏と別れたようで、傷の舐め合いみたく付き合った。ボクはぐうたらなので、物件探しはおざなりにして、読書と彼女の秘蔵酒を飲むことに明け暮れた。彼女がバイトに行ったある日ボクはボトル一本空けて、帰宅した彼女を貶したらしい。正気になったら、公園のベンチで寝ていた。雨が強かった。3時間後、彼女は許してくれ、アパートに入れてくれた。ちなみにその時の最高の雨宿りスポットは電話ボックスだった。ボクの横暴に呆れたのか、短期間で別れるに至った。


4. ボクは、二代目彼女と同棲中に、練馬区に居住を決めた。狭いが良いアパートで、ボクは2代目と×××するために、セミダブルベッドを買った。結局彼女が、練馬の第二次厭世ハウスに来ることはなかった。当時のボクは、どうしても関東圏で働きたく、ビジネマナースクール(Zoom)(無料)に申し込んだ。しかし、碌な求人がなく、全て辞退し、自堕落な生活に戻った。その賃貸も年越し前に引き払い、再び故郷へ出戻った。


5. 似非就活で、唯一興味が持てたのは、教育関係職だった。ボクは中3で、一年間引きこもり。高校はFラン。Fラン高校卒は、特に苦労した。また、その最後のセーフティネットの網の目から溢れる人たちをたくさん見た。<学校嫌い><勉強嫌い>を少しでも、なくせたら良いと教員を志した。ものの、2021年になっていた。


6. 教育免許取得は意外と難しい。学部生時代、教免とるために、ハードなスケジュールを組んでいた奴らには、敬服せざるを得ない。流れで、法政大学通信教育部に籍を置くことになった。だがしかし、1年目を、単位を一切取れないとう結果となった。メサコン引退を決意した頃に知り合った3代目の彼女。自死しかねなかった。ボクの実家では、公共料金・食費等が浮き、助けになるだろうし、今彼女の現状を打破する手段がないので、名古屋にご足労願った。一年弱で別れt。


7. 今はただ、ひもすがら、塞ぎの虫である。



              2022年3月20日